森へ入っては行けないよ。
森から出れなくなってしまうから。




ゴンベッサ Latimeria chalumnae





森の一番奥には魚がいる。
そんなの嘘に決まってる。


*

深い森。脇には細い道があって、それが私たちの近道だった。 森は深くて暗く、鬱蒼としていて、中は濃緑と言うよりも濃紺の深海だった。


路面電車は森の手前で停まって去っていった。


「別砂、そっちぢゃない」



別砂は意識の薄い少女だ。放って置くと風船が空に吸い寄せられるように深海に 歩いていく。それは意識して歩いてるようではなく、本当にぼんやりと吸い込まれていくのである。


「知古?」



別砂は蚊の鳴くような声で鈴を転がすような音で知古を呼ぶ。 スカイグレイの意識の薄い瞳で空虚を見つめ、 伸びてしまった石灰の髪をお下げにして赤土のリボンでまとめている。 小さな顔にすっかり納まっているパーツは見事の一言である。


「別砂、森はだめ」
「森は迷ってしまうから」


いつものように諭して納得させる


「知古、あすこには何があるの?」



いつもは聞かない。
だけど、今は聞いてきた。


「何もないわ」
「只、樹が一寸多いだけ」


知古は深海を見て、黒々とした木々を忌々しそうに、答えた。


「だけど、狭乃がね、」
「あすこの、奥には魚がいるって言ってたわ」


狭乃は眼鏡のよく似合う奴だ。狭乃は別砂の隣の席に何時もいる。 今だって電車の隣の席には狭乃が座っていた。
教室だってバスだって地下鉄だってテェブルだって……… いっつも別砂の隣の席に居座って、有ること無いこと嘘ばかり話して聞かせている。


「あいつの言うことを信じちゃ駄目」
「あいつの言うことの七割は嘘で出来てるんだから」


日がな一日、終日、嘘しか言わないような奴なのだ。 多分、別砂は知古の知らない内に全部信じて飲み込んでしまってるんだろう。


「だけど、知古は隣の人のことを信じられなくて良いの?」
「狭乃はとっても優しいわよ」


優しいのは外面だけで、脳裡は嘘と虚構で出来上がってるに違いない。 どこまで信用しても嘘と虚構では裏切られてしまう。

それはまるで飼い主を噛む忠犬。


「別砂、別砂が本当だと思うことだけ信じればいいわ」



諦めてこれだけしか言えなかった。


「ぢゃあ、私。確かめに行くわ」
「森の一番奥まで行くの。知古は家で待っていて」


止める間もなく別砂は駆けていった。
別砂の足はちゃっちゃか森へ進んでいった。






+ + + +




彼の予報はよく当たる。
他は何も当たらない。


*

別砂は門限ギリギリに帰ってきた。 寮母に挨拶をして、自分の部屋に戻るとルームメイトの知古が「本当に行ってきたの?」と呆れた声で聞いてきた。


「で、いたの?魚」


そんな物はいないに決まっている。
別砂は何処か奥底でそう思った。行ってみるまではいるに違いないと信じてたのに。


「いなかった」


「そう」


そう言って知古は先ほどから読んでいたであろう、分厚いハードカヴァーの本に目を戻した。 別砂はそれを見てからいそいそと制服から部屋着に着替え、ぼんやりと窓の外を眺めていた。 窓の外には深々と魚のいる森が広がっていた。


「知古、別砂、夕飯だって」


ノックの音の後に顔を出した眼鏡、狭乃がそう言ってぱたぱたと廊下を渡り階段を下りていった。 きっと他の部屋の子にも同じようにノックをして顔を出して行ったのだろう。時々足音はやみ、ノックの音が聞こえた。


「いきましょ」


「うん」


知古がそう言えば別砂は従った。 今日はきっとカレーね、匂いがそう伝えてるわ、等と会話をしながらのんびり一階の食堂まで降りていった。
着いた頃には皆が揃っていた。別砂の隣の席にはやっぱり狭乃がいた。


「戴きます」


誰の号令でもなく一斉に言ってスプーンを持って食す。スプーンが皿に当たる音と静かなお喋りがその場を包んだ。



もうそろそろ、食べるのが遅い別砂も食べ終わる頃、 知古が自分の分の皿とスプーンを片づけようとして立ったとき、狭乃が急に別砂に話しかけた。


「そうだ、別砂。今晩は一晩中雨が降るよ。一ヶ月ぐらい振りかな?」


それを聞いた別砂は、食べるのを一旦停止し、狭乃の目をまじまじと見た。


「本当?」


魚のことで疑り深くなったのかもしれない、良い傾向だ。と知古は奥底で思った。


「ああ、本当さ。僕が天気予報を外したことがあったかい?」


知古は心中で舌打ちした。


「ないわ」


「そうね、狭乃は本当に予報だけは当たるわね」


知古がそうやって口添えをした。


「ふふふ。そんなに睨まないでくれよ。僕だって好きで嘘をついてる訳じゃないさ!」


そう言って狭乃は席を立ちステップを踏むように軽やかに皿を水に漬けに行った。




end



















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